とりあえず 50年 生きてみた

普通にまじめに生きるつもりだったのに、なぜかこんな生き方になってしまった。

サラリーマンをサクッと辞めて
夜の酒場のピアニストに転身
からの・・・
金融系システムエンジニアに転身
継続しながらの・・・
リラクゼーション店オーナーセラピスト

ついてきてくれる嫁に感謝の日々です(;´・ω・)

「違う」を認めることで世界が広がる

同じ政党の中で意見が分かれていると、マスコミは「まとまっていない」と批判します。私には「全員が同じ意見」であるほうが不気味に感じます。日本人は「人と違う」ことを嫌います。でも「人と同じ」だと思っている人がいるとしたら、それは勘違いで「無理してあわせている」か、もしくは大根と蕪の違いに気づいていないか・・・のどちらかですね。


ファーストオートというバイク販売会社の会長様は、「たくさんの普通があることを知ることだ」とおっしゃられました。「普通」は人の数だけあって、自分の普通とは違う普通を認めることで世界が広がるのだと教えてくださいました。間違ってはいけないのは自分と違う普通を認めたとしても、それをすべて取り入れる必要はないということです。自分の普通を安易に曲げてはいけません。


トマトはじゃかいもを否定しませんが、自身が土に潜ろうとは思いません(笑)


今の政治も同じです。政党により意見が違うのは良いことです。ただし、相手を貶めることで自分の政党を持ち上げるのは間違っています。相手の意見を認めて、その上を行く提案をするのが政治家であり、だからたくさんお給料をもらってもいいんです。今の政治家先生の発言は相手を貶める発言は多すぎると思います。情けないことですね。



「作者の気持ちを述べよ」という問題について

日本では、古来より直接的な表現を避けることを良しとしてきました。そんな日本の小説を読んで「作者の気持ち」はそんなに簡単に読み取れるものではないと思います。
その昔、ある小説家が自分の書いた小説を問題にした共通一次試験の問題に挑戦して「作者の気持ち」を間違えたというエピソードもあります。


「作者の気持ち」を最も読み取りにくい小説の1つにサンテグジュペリの「星の王子さま」があります。この小説は一読すると「ファンタジーあふれる童話」と思いがちですが戦争を背景にした小説だと聞いたことがあります。


文章や言葉からその人の気持ちを推察するには、その人の歴史を知る必要があります。だから、単純に言葉だけをとりあげてその人の人格をすべて否定するような愚かなマスコミの真似だけはすまいと心に誓うのです。もっと謙虚にその人の真意を理解しようとするとき、理解に至らないまでもそこには信頼関係が生まれるのだと思います。


デイドリームビリーバーという曲があります。もともとは海外の曲ですが、忌野清志郎さんが日本語の歌詞をつけて歌っておられます。この日本語の歌詞は、一瞬「恋人」のことを語っているように感じるのですが、実際は母親を思って作った歌詞なのだそうです。彼の実母は幼少の頃に他界しており、実母のお姉さまに育てられたそうです。「母親への思い」という事実を知って、この歌を聞いたとき・・・涙が止まりませんでした。


「知らない」ということを知ることです

自分は「知っている」という意識は、成長を妨げ他人を軽蔑し視野を狭くします。


世の「老害」と呼ばれる方たちは、決して能力が劣っているのではありません。むしろ「害」になりうるほどに知識や技術があるんです。ただ・・・悲しいかな新しい技術や新しいやり方を否定し、自分の知っていることが一番素晴らしいと考えているので「害」になるわけです。


話は変わりますが・・・


私は京都という町に8年ほど住んでいました。そして今でも用事で月1回程度京都を訪れます。行くたびに発見があり毎回京都行きを楽しみにしています。まだまだ私は京都を知らないんです。京都を 金閣寺と清水寺で片づける人はもう京都を訪れることはないでしょう。「知ってる」とはそれほど行動を制限する意識なんです。


また 話は変わりますが・・・


「普通は・・・」と話しを切り出す人がいます。自分の「普通」を相手に押し付けて、相手を非常識呼ばわりするわけです。相手からするとこの人のほうが非常識だったりするわけで・・・「普通」は人の数だけ存在します。私の人生における「普通」は私が生きやすいように設定された「普通」です。それは他の人の人生には当てはまりません。相手の「普通」をきちんと認め、自分の「普通」との違いを認識すれば、ちゃんとした人間関係が構築できます。


自分の知識も・・・京都も・・・「普通」も・・・自分は知らないことだらけだと考えたときに非常に魅力的になりうる可能性が芽生えるんです。