とりあえず 50年 生きてみた

普通にまじめに生きるつもりだったのに、なぜかこんな生き方になってしまった。

サラリーマンをサクッと辞めて
夜の酒場のピアニストに転身
からの・・・
金融系システムエンジニアに転身
継続しながらの・・・
リラクゼーション店オーナーセラピスト

ついてきてくれる嫁に感謝の日々です(;´・ω・)

「知らない」ということを知ることです

自分は「知っている」という意識は、成長を妨げ他人を軽蔑し視野を狭くします。


世の「老害」と呼ばれる方たちは、決して能力が劣っているのではありません。むしろ「害」になりうるほどに知識や技術があるんです。ただ・・・悲しいかな新しい技術や新しいやり方を否定し、自分の知っていることが一番素晴らしいと考えているので「害」になるわけです。


話は変わりますが・・・


私は京都という町に8年ほど住んでいました。そして今でも用事で月1回程度京都を訪れます。行くたびに発見があり毎回京都行きを楽しみにしています。まだまだ私は京都を知らないんです。京都を 金閣寺と清水寺で片づける人はもう京都を訪れることはないでしょう。「知ってる」とはそれほど行動を制限する意識なんです。


また 話は変わりますが・・・


「普通は・・・」と話しを切り出す人がいます。自分の「普通」を相手に押し付けて、相手を非常識呼ばわりするわけです。相手からするとこの人のほうが非常識だったりするわけで・・・「普通」は人の数だけ存在します。私の人生における「普通」は私が生きやすいように設定された「普通」です。それは他の人の人生には当てはまりません。相手の「普通」をきちんと認め、自分の「普通」との違いを認識すれば、ちゃんとした人間関係が構築できます。


自分の知識も・・・京都も・・・「普通」も・・・自分は知らないことだらけだと考えたときに非常に魅力的になりうる可能性が芽生えるんです。